１７　　一本のヒゲ

　 　ネコの寿命は十数年と言われているから、いつか、自分がポン太を見送る日が来るとは、わかっていた。ポン太は元気なネコだったし、腎臓病発覚の時まで、それはとても遠い未来だと思い込んでいたから、深刻に考えたことはなかった。が、かねてより、ひとつだけ、想像しただけでホロリときそうになる事柄があった。

　死んだネコの残り毛、である。　ネコがいるとあちこちに抜け毛がつく。掃除機で吸っても、ガムテープでペタペタやっても、床に、ソファに、服に、薄茶のポン太の毛が残る。私の想像の世界では、「ネコが死ぬ」→「季節がかわる」→「久々に出した衣類にネコの毛を見つける」→「さめざめと泣く」となるはずだった。

＊

　四十九日の少し前だった。いるはずのないネコを無意識に目で探してしまう癖が抜けない。所在なさのあまり、いらない本を処分したり、家具の配置換えをしたりと、無理やり忙しく動いていた。長く動かさなかったステレオの裏に、枯れた観葉植物の葉とともにネコの毛が多量にあった。ほこりと一緒になって、茶色い綿ゴミを形成している。それは予期していたことだったから、さほど心を揺らすことなく、掃除機でガガガと吸い込んだ。

　本棚の奥に白く光る細いものが見えた。つまみ出して見ると、それはポン太のヒゲであった。ネコのヒゲはテグスのごとく強くて張りがあり、先がピンと尖っている。５、６センチの長さで毛根の方は少し丸い。死んだネコの残したヒゲを手にした私は、ニカッと笑った。満面の笑みであった。

　「こんなところにいたの。めっけ！！」

　現実の私は、さめざめと泣いたりはしなかった。久々の対面は嬉しいものなのであった。立派なヒゲであった。力強かったときのポン太が、ここに、しっかりと美しい弧を描いて凝縮されている。私はうきうきと心躍らせて、そのヒゲをメモ帳に貼り付けた。もう会えないと思っていた旧友に街角で遭遇したら、こんな気持ちだろうか？しまいこんでいて忘れていたクジが、大当たりだったとわかったら、こんな気持ちだろうか？

　日々の予定や備忘録の書き込まれたメモ帳には、ポン太の写真も入っている。私は写真をながめてニカッとし、テープで貼られたヒゲをつついて、再度ニカッとする。

＊

　泣き崩れる瞬間は、もっと何気ない日常にひそんでいた。何事もその場になってみないとわからない。

　 　

目次へ　←次を読むならクリック！