41  自己保存本能

 いかなる生き物であれ、命あるからには、無事に生き続けたいと思うのは本能である。人は皆、自分の身に降りかからんとする危険は避けようとする。我が方に飛び来る石を避けない者はいない。明日も食べるために、今日も働き、金銭を備蓄して、万一に備える。人間関係のトラブルも災難の元ゆえ、なるべく穏便に身を処する。生まれてから数年は、保護者がいなければ生きていけぬが、人間は社会的動物なので、家庭、学校、職場などで揉まれながら、徐々に安全に生き長らえる技を習得する。

 ネコはどうだ?自分に及びそうな危険に対しては、ネコは人間より更に敏感で、回避行動も俊敏である。特に、そのネコが「タラネンコ」という種類の場合、危機管理は完璧を通り越して激しく無駄である。そもそも、タラは野良ではない上、外出もしない乳母日傘のマンションネコだ。同居は人間のオトナだけなので、テリトリー内に危険は皆無と言って過言でない。この安全の地に定住して、かれこれ5年が経とうとしている。そろそろ平和ボケしてくれても良さそうなものだ。

 タラは子猫のときから、用心深かった。あらゆる人間を、まずは「危険な存在」と仮定して様子を見る。ま、母ネコのところからヒョイと拉致したのは私なので、最初のうちはしょうがなかったのかもしれない。だが、それ以来、毎日ゴハンを出し、トイレ掃除をし、遊んでやって、一日の仕上げに添い寝をしてやっているのは私である。もう母ネコのことなんかとっくに忘れているだろう。タラ、あんたの保護者は私だよ。その私が外出から戻ったとき、玄関でのお迎えをしない点は百歩譲っても、テーブルの下に逃げ込んで、上目遣いで飼い主の危険度を値踏みするのは止めていただきたい。

 私は責任感のある保護者だから、タラにひもじい思いをさせたことなど一度もない。毎朝、ネコ缶を開けてやり、ドライフードは常にお皿に盛ってある。たまに、自分で全部食べておいてから、「ドライがない、ドライがない」とニャコニャコ私を付け回して催促するのは嫌がらせか?しかも、袋から皿へとドライが移動するのを傍らで見届けるだけで、すぐには食べないってのはどうだ?別にお腹が減って啼いていたわけではないのだな?万一のための備蓄確保だな?

 タラに同居ネコがいないのはいいことだとつくづく思う。タラは嫌いな相手には憎しみを込めてパンチを食らわし、好きな相手には愛情込めてパックリ咬みつく。同居ネコはどっちに転んでもロクな目にあわないだろう。ネコ社会の中で穏便に生きていけるタイプではないのだ。人間と暮らしていてもあちこちで摩擦を起こしてくれる。お客にガンを飛ばすな。殴るな。シャーするな。飼い主を咬むな。キックすな。ことネコに関しては寛容な飼い主を得たのは、タラの引きの強さだろう。心優しい飼い主をゲットできて、おまえは超ラッキーなヤツなのだ。ここで安心して安全に長生きすればいいんだからね。わかった?

 先日、私は所用で数時間留守をしてから帰宅。ガチャガチャと鍵を回し、玄関を開けたら、リビングから真っ直ぐにタラが啼きながら駆け寄って来た。ああ、タラが、バカネンコが、ついに飼い主への安全確認を省略できるようになったのか?自宅は非戦闘地域と認識したのか?長いことかかったなぁ。おお、いいコだ、いいコだ。抱き上げてやろう。腕の中でもニャーニャー言い放しで、暴れている。その細い目が何かを必死で訴えているような・・・・。目線が右下方に流れたような・・・・。

 ド、ドライの皿が空になっていたのね。


photo by P〜san
2007年2月20日

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