その時、私はシャツにアイロンをかけていた。家事の中ではアイロンかけは嫌いな部類に入るのだが、先ごろ、古いアイロンの調子が悪くなり、買い換えたばかりなので、それなりに気分は良い。先代のアイロンを使っていた１０年ほどの間に、アイロンはコードレスが主流になっていた。だから、うちの新しいのにも邪魔なコードはない。

　まずは襟。その後、袖口にかける。コードがないとアイロン回しがとても楽だ。そして、腕部分にアイロンをすべらしていたときに、異変は起こった。
　「ぷしゅっ」
　なんだ、今の音？　薄青のシャツに草色のシミが浮かんだ。続いて異臭。袖を裏返してみたら、そこにつぶれたカメムシが・・・。がくっ。お亡くなりになったカメムシを捨て、シャツは再び洗濯機へ。くっさ〜。

　高層ビルのベランダに飛んでくる虫は比較的少ない。蚊には上のほうまで登る根性がないらしく、一階でエレベーターを待っているときに咬まれることはあっても、１５階にある自宅では咬まれることはない。蜂は元気で、うちの空中庭園まで蜜を吸いにやってくる。蝶は地表近くをひらひらするのが好きらしく、滅多と来ないので、幼虫に遭遇することがなくて助かる。カメムシは結構タフだ。うちの洗濯物と一緒に取り込まれることがままある。しかし、袖の中に入らなくてもよかろうに。隠れるのが好きなのか？私とて、いらぬ殺生はしたくなかった。クリーニングに出す前に洗濯物のポケットを調べるのは常識だが、今後はアイロンの前にカメムシ点検が必要？

　隠れると言えば、ネコだ。うちのソファには布がかかっている。ソファの背中のところで安全ピンで留めてあるだけなのだが、汚れたときにカバーだけ洗えてよろしい。布を取り替えると気分も変わってナイス。で、この布の下にタラが入る。ソファの一部が呼吸とともに軽く上下しているときは、そこでタラが寝ている。とくに肌寒くなってきた昨今、毎日、ソファはタラ入りである。

　先日、拙宅への訪問者が、いきなりソファに座った。タラは平べったいネコなので、盛り上がりが薄いゆえ、気がつかなかったのである。
　「ぶぎゃっ!!」
　座られたタラも驚いたが、座った人間もめちゃくちゃ驚いていた。
　「タラちゃん、ごめんねー。ごめんねー」
　タラは聞く耳を持たない。向こうの部屋へと爆走して消えてしまった。その後、三日くらいはソファの布にもぐるのも控えていた。危機管理である。

　危機管理と言えば、私は自分の老い先における危機管理に、一抹の不安がある。老人はちょっとした段差につまづいて転んで骨折し、そのまま寝たきりに、ということがあるではないか？自宅内の段差は慣れ親しんだ作りだから大丈夫なような気がするのだが、心配は神出鬼没のネコである。踏み出した足の下にネコがいる場合、今の私なら避けられるが、老人となった時にはどうであろう？まとわりつくネコをよけながら歩いているうちに、足がもつれて転倒ということもありそうだ。伸ばしっ放しの長い尻尾も邪魔だ。あんたのことだよ、タラネンコ。

　アイロンと同じく、次世代のネコはコードレスがいいかもしれない。

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